
本日2回目のブログ記事です。
”阿弖流為”(アテルイ)という人物の事はお判りでしょうか?分かる方がおられたらその方は中々の歴史のお詳しい、かつ勉強家ですね。
9月1日(日)の事になりますが、岩手県奥州市水沢区にございます『
奥州市埋蔵文化財調査センター』という所に行ってまいりました。
平安時代のはじめの延暦21年(802年)、陸奥国北半部を支配するため、坂之上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)によって造られたのが胆沢城(いさわじょう)です。
胆沢城の造営には、相模、武蔵、上総(かずさ)など坂東諸国(ばんどうしょこく)の浪人4,000人が駆り出されました。
これにより、最後まで抵抗した胆沢(いさわ)の蝦夷(えみし)の
阿弖流為(アテルイ)母礼(もれ)らは、坂之上田村麻呂に降伏しました。
大同3年(808年)には鎮守府(ちんじゅふ)が国府多賀城から分離して胆沢城へ移され、鎮守府胆沢城が成立します。陸奥北部とさらに北方支配の拠点とするため鎮守府の官制を独立させ、胆沢城司とするものです。
と説明されておりますが、今から1200年ほど前、奈良時代から平安時代に移った時代に東北地方を国の支配から守ろうとした一人の勇気ある若者がいて名を
阿弖流為(アテルイ)といい母礼(もれ)と共に三度戦って一度も負けずに降伏したのが阿弖流為(アテルイ)です。
詳細は『
奥州市埋蔵文化財調査センター』をご覧くださいね。

突然のドライブでまるで急に頭の中にピン!と来て行って来たという感じです。
なので何の準備もせずに愛車で行って来ました。



奥州市埋蔵文化財センターの玄関です。

阿弖流為(アテルイ)とビデオが迎えてくれます。

阿弖流為(アテルイ)の肖像画ですが素敵!です。

征夷大将軍の坂之上田村麻呂です。偉い方!という雰囲気が伝わります。

阿弖流為(アテルイ)さんも大きいですね。180〜190センチ位ありそうです。
今回は阿弖流為(アテルイ)の里に行って来ました。とても良かったです。
阿弖流為さんの御霊が成仏して笑顔になるようにお祈りしてきました。
”ありがとうございました”。合掌!

ご興味ある方はご覧くださいね。阿弖流為(アテルイ)の
YouTube。
posted by kouki at 17:08
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